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Posted by ぽてとへっど=きはな - 2007.07.27,Fri
 久々の更新となる今回はAKB48について簡単な考察をしようと思う。
 AKB48とは、「会いにいけるアイドル」というコンセプトで秋元康がプロデュースしたアイドルユニットであり、アキハバラを拠点に活動している。最新シングルがオリコンチャート初登場6位を記録したように、一部のファンからは熱狂的な支持を受けているようである。では、そのAKB48の持つ魅力とは何なのかを考察したい。
 
まず本題からは少しずれるが、AKB48が活動の拠点としている「アキハバラ」という街について、私自身の経験をもとに再考してみたい。
私自身大学進学に伴い上京した当初は、アキハバラを訪れる回数というのはそれほど多くなかった。年に数回程、中古CDショップを巡るために行くくらいであった。そんな状況がある時期を境に一変した。確か大学四年の冬あたりから急に足を運ぶ回数が多くなり、春の気配を感じる頃になるとほぼ毎週アキハバラを訪れていた。
しかし不思議なことだが、なぜそれほどまでアキハバラに足を運んだのかを考えてみると、ハッキリとした理由はなく、ただ漠然と行きたいという気持ちに誘われて行動していたのである。私自身は特にアニメが好きだとか、PCジャンクに興味があるといったわけでもなかった。それなのになぜ漠然とした理由でそれほどまでにアキバに足を運んでいたのか?
考えを廻らせて思い当たったのがアキハバラという街が持つ「虚構性」である。
森川嘉一郎は著書『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(2003幻冬舎)において、2000年代に入ってからのアキハバラという街を「個室空間の都市への延長」であり、「あたかも現実の街がインターネットにおける場所(サイト)の構成のされ方を模倣するかのように、趣味の構造が場所を形成した」と指摘している。現在のアキハバラに行けばすぐに気づくように、アニメ・ゲームのキャラクターのPOP/広告があらゆる場所に見受けられる。この都市空間へ趣味の露出は、まさに都市の個室化と言えるであろう。
私自身がこの趣都アキハバラに足を運び感じたことは、この趣味の構造が作り出した都市が持つ「虚構性」と「非社会性」であった。秋葉原駅から末広町駅までのいわゆるアキバと称される空間一体は、あたかもその外の街とは違った世界かと思わせるほど、構造も空気感も明らかに違ったものになっている。まさに別世界である。そこは社会的な現実性を感じさせない虚構性、非社会性をもっており、その空間にいる時間は、社会や社会的日常から解放されているかのような錯覚に陥ることができた。(私個人としてはこの感覚の構成要素として芳林公園の存在も大きいのではないかと考えている。公園という時間・年齢を忘れさせる存在が、趣味的構造の都市、個室化した街の中心に位置していることが、アキハバラという空間の虚構性、非社会性を増大させているように思われる)
以上のことを考えると、大学というモラトリアム期間を終え、社会人になり社会に組み込まれるという不安を何処かしら抱えていたであろう大学四年の冬という時期に、現実を忘れさせる虚構性、非社会性を持つアキバという空間に惹かれたのは決して偶然ではないであろう。アキハバラに足を運ぶ人間の多くは、私同様に、その空間の持つ虚構性、非社会性に魅力を感じている部分が少なからずあるのではないだろうか。
 
さて本題に戻ろう。これまで述べてきたように虚構の空間であるアキハバラという場所に存在する「会いにいけるアイドル」AKB48は、非常に興味深い構造を持つ存在である。確かにAKB48は「会いにいける」というコンセプトにより、偶像としてのアイドルではなく身近な存在としての魅力を打ち出している。しかし一方で、社会的現実を感じさせない虚構性の都市空間(アキハバラ)に存在するアイドルという、いわば虚構の中の偶像という性格を持っている。この後者の性格により、先に述べた「会いにいける」・身近な存在としての魅力は、アキハバラという虚構的空間でのみ(その空間に行くことによって)彼女達「会える」・身近に感じられるという構造によって、逆に彼女達の偶像としてのアイドルという性格を強化するものになっているのである。日常生活の営まれる現実空間とは違った空間に彼女達は存在し、彼女たちのファンは自らがその空間に行くことで身近に感じることができ、そこにリアルを感じることができる。AKB48はアキハバラという空間で活動することで、3次元的な魅力と2次元的な魅力を兼ね備える構造を持つアイドルとなっていると言える。これはアイドル旧来の魅力(偶像性)を、現代のアイドル的要素(身近な存在としての魅力)によって逆説的に強化するという、これまでに例を見ない、稀な構造を持つ非常に興味深いものである。また、その偶像崇拝の逆説的強化の強度の凄まじさは、彼女らのファンの熱狂振りを一目見れば明らかである(先日TBS「リンカーン」で取り上げられた異様な熱気が記憶に新しい)。
 
このAKB48という存在が持つ特殊な構造による魅力は、プロデューサーである秋元康の手によって、巧みに彼女らの楽曲に取り組まれている。そのことが顕著なのが、AKB48TeamK2nd公演の公演タイトルにもなっている「青春ガールズ」であろう。
「青春ガールズ」は、誰もが一度は経験した社会・社会的現実から離れており、どこか虚構性を持つ「青春」という時間を徹底的に賛美した歌詞を、耳障りのいい音楽にのせて、どう贔屓目に聞いても上手いとはとてもいえない歌声で、言ってみれば女子高の学芸会的なノリで、虚構の中の偶像としてのAKB48が歌うのである。
“大人になんかなりたくないよ いつまでもずっと
 人生に縛られずに 自由でいたいよ
 お金だったり 名誉だったり ウザイだけだよね?
みんなとここに いられるだけで なんてったって最高っす!
今を逃すんじゃねえ! 今をもっと生きるんだ!“
“大人になんかなりたくないよ このままがいい
 人生は短いんだ 好きにさせろよ
 学歴だったりだったり 職業だったり どうだっていいよね?
 みんなと盛り上がれたら それだけで幸せさ
今を逃すんじゃねえ! 今をもっと生きるんだ!“
  
 このようにサビにおいては、大人になる(社会に出る)と避けることのできない社会的な日常、つまり現実(リアル)としての日常や、さらにはお金や名誉、学歴といった社会的に価値がるとされているものを完全に拒絶する。そして“今”、つまり“青春”を徹底して賛美し、“青春”というどこかリアル(現実の社会)を感じさせない時間に閉じこもろうとすることを声高に叫ぶのである。さらに“みんな”と形容される聞き手は、彼女らとともにリアルから離れ“青春”という名の虚構にジョイントするよう誘われるのである。
 彼女らの青春賛美は終盤の間奏に入ると違ったヒートアップを見せ、“青春”の永続性を訴える。子どもだって、おじさん・おばさんだって、おじいちゃん・おばあちゃんだって、何歳になっても青春は続くと叫び、“私ら死ぬまでずっと青春!”とのフレーズで曲は最高潮を迎える。それだけに留まらず、最終的には“「死んだら、どうなるんですか?」「それでも、青春は続くんだ」”と、“青春”は死してもなお続く永久不滅なものであるとし、その永続性を徹底的に強調した上で、再び前掲のサビに入り、聞き手を永遠の虚構として賛美される“青春”にいざなうのである。
 以上のような「青春ガールズ」の内容は、前述のように虚構の空間であるアキハバラという場所において偶像として存在するAKB48が歌うことによって、奇妙な説得力と魅力を持つのである。
日常生活の営まれる現実空間・社会(リアル)とは離れた虚構的空間アキハバラ。そこにのみ存在するアイドル(偶像)である彼女達が、「永遠の虚構である“青春”」を賛美し、リアルな社会で日常生活を送り、リアルな価値に縛られている聞き手にこっち側(青春)においでと呼びかけるのである。その呼びかけは、アキハバラという空間においては、大きな説得力とリアルを持つもののように聞き手には感じられることだろう。聞き手は、アキハバラを訪れることで、彼女達の演じる青春という虚構(虚構の中で演じられる虚構)に自身もジョイントすることができるのである。
そう、虚構の街アキハバラでは、「何歳になっても続く“青春”」という虚構にリアルを感じることができるのである。アキハバラという場所で、AKB48という存在が歌うことで、この「青春ガールズ」は何ともいえない不思議な魅力で聴くものをひきつけるのである。
 
p.s.最後に追記しておきたいのは、このTeamK2nd公演『青春ガールズ』の中で最も盛り上がりを見せる曲で、TeamKのテーマ曲のようになっている「転がる石になれ」の存在である。この曲は「青春ガールズ」から一転して、「現実世界を強く生きろ、自分に負けるな」というメッセージを強く投げかける歌詞内容となっている。彼女たちは観客に対して、アキハバラという場所においては“青春”という虚構に誘った。しかし、公演の終盤となり観客の現実世界へ戻らざるを得ない時が近づくと、強く生きろと訴えかけて励ますのである。虚構の中の偶像のこの呼びかけは、アキハバラという虚構の街から現実への帰宅と相まって、強い感動・余韻を残すのであろう。AKB48という虚構の中の偶像のショーにおいて、序盤に「青春ガールズ」、終盤に「転がる石になれ」を配置する、プロデューサーの妙に、ただ感嘆させられる。
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Comments
常々貴公が熱弁しているように
貴公の才能を改めて鑑みざるを得ない論文に仕上がっており、私は感動の念を禁じる事が出来ません。いや、むしろ畏怖すら感じております。

しかし残念なる哉、キモい。
この才能をもう少し違うフィールドへと昇華し、己の存在意義を屹立させます様、願っております。
あなたの友として。
Posted by やまぐち - 2007.07.28,Sat 01:33:03 / Edit
まあ、さ…
論旨が一本で良くまとめたなと感心するほどのものですな。私のAKBについての考えを少し…
AKBがメジャーになり切れないのは必然だろうと思う。
どこまで狙ってやったか知らんがこれまでのアイドルがすでに完成された虚構性を持っているとすれば、AKBはファンが共に作り上げていると言う感覚が強いのでは?
たぶんAKBオタは完成品をほいっと出されても嫌なんではないかな。たくさんいる中で自分の趣味にあった自分の妄想と合致するメンバーを探してひたすらその妄想を投影し続けることで恍惚感に浸っているんでないの?
自分があの子を支えている・見守っている!みたいな感覚…
だから見守れない位置=超売れっ子になってしまったらAKBを応援する意義がなくなってしまう。
しかし一方でAKBのゴールはメジャーになることな訳で…
犂明期はオタもメンバーもただ必死にやっていれば良かった所、ここに来て徐々に齟齬が顕在化して来たのではないかね。
絶対的な基盤=オタを捨てる覚悟でもない限りメジャー化は中々難しく地下アイドルのままだろうと思う。
Posted by 小池 - 2007.07.29,Sun 18:11:38 / Edit
まあ、さ…
論旨が一本で良くまとめたなと感心するほどのものですな。私のAKBについての考えを少し…
AKBがメジャーになり切れないのは必然だろうと思う。
どこまで狙ってやったか知らんがこれまでのアイドルがすでに完成された虚構性を持っているとすれば、AKBはファンが共に作り上げていると言う感覚が強いのでは?
たぶんAKBオタは完成品をほいっと出されても嫌なんではないかな。たくさんいる中で自分の趣味にあった自分の妄想と合致するメンバーを探してひたすらその妄想を投影し続けることで恍惚感に浸っているんでないの?
自分があの子を支えている・見守っている!みたいな感覚…
だから見守れない位置=超売れっ子になってしまったらAKBを応援する意義がなくなってしまう。
しかし一方でAKBのゴールはメジャーになることな訳で…
犂明期はオタもメンバーもただ必死にやっていれば良かった所、ここに来て徐々に齟齬が顕在化して来たのではないかね。
絶対的な基盤=オタを捨てる覚悟でもない限りメジャー化は中々難しく地下アイドルのままだろうと思う。
Posted by 小池 - 2007.07.29,Sun 21:33:57 / Edit
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